生徒は「理解」の意味すらわかってない

勉強のさせ方そのものを根本的に変えなければ、日本の教育水準は落ちていくばかりではないでしょうか。たとえば今、高校の授業はまるで意味を忘れてしまった儀式のように、ただ形だけ行われているかのようです。先生は授業をしている「ふり」をする。そして生徒たちは聞いている「ふり」をしているだけです。先生方は「できる子」だけでなく、「できない子」も含めたクラスの生徒全員に内容をしっかり「理解」(当然「学習の三段階」でいうところの「理解」という意味です)させようという熱意が薄く、生徒は「理解」の意味すらよくわかっていません。したがって「再構築」などは夢のまた夢です。生徒はただ黙っていれば先生に怒られないので、授業の内容がわかっていても、わかっていなくても人形みたいに座っているだけなのです。でも、ちゃんと「学ぶ」という意味を考えた場合、大学受験を見据えて学習する場合、このやり方ではダメなんじゃないか。壮大なムダではないのか。そう思えてなりません。

個別指導塾等と保護者との連携プレー

勉強ができない子は勉強をしない生活習慣(テレビ、ゲーム、まんが、そして時間管理ができないなど)を身に付けてしまっていることが大半なので、家庭学習の指示や生活習慣の指導もしなくてはなりません。そのためには個別指導塾等と保護者との連携プレーが必要になってきます。授業の終わったあとは、夜遅くまで生徒の対応と保護者への電話連絡と相談に追われ、翌日の授業準備も終わらないうちに終電にかけこむような日々を送らなければなりません。こんな苦労を引受ける個別指導塾等の講師が見つかればその人は信頼できる講師にあたいするでしょう。このような信頼してもよい講師に出会えたら、とことん講師のことを信頼して、二人三脚で受験勉強に励むとよいでしょう。
[参考サイト]四谷学院の個別指導教室

教育学部卒業者の就職状況は好転

予備校では教育学部に入った学生が遊びにきては、しきりに不安がっていたものである。そんな先輩たちの姿をみて後輩たちは当然教育学部を見放した。ただ、このところ一部の都道府県では、高齢の先生方がそろそろ退職年齢に達しはじめた。そのため教育学部卒業者の就職状況は好転のきざしをみせている。おそらく数年先にはいままでの状況とは逆に、都道府県によっては所在する教育学部の卒業生の総数をもってしても、退職者の穴埋めができなくなる状況がやってくるはずだ。すでに一部ではじまりかけているが、他県の卒業者や現役の先生の取り込み合戦が起きることも想像に難くない。実に喜ばしいことではないか。先生の平均年齢が若返るのである。だが、ちょっと待て。よくよく考えてみると、とても手放しで喜んではいられない。何年か先には学校は若い先生ばかりで、経験に裏打ちされた教育力のある先生を欠く状態になりかねないからだ。

手紙も満足に書けない日本人

中学、高校、大学と、10年も英語を勉強してきたはずなのに、実際に手紙も書けないという日本人があまりにも多いのが現実です。精神科医として立派な先生から私に何かの折に、手紙をチェックしてほしいと頼まれることがありますが、手紙の形式さえ十分に理解していないこともめずらしくありません。手紙すらきちんと書けないというのが現状です。手紙の書き方もそのひとつなのですが、どうしていまだに学校でこのような実用的なことを教えないのか不思議でなりません。実社会に出て使わなければいけない技能を若いうちに教えておく必要があると私は確信しています。昔どおりの授業を続けていることは旧い型の教師のための雇用対策事業の感さえ覚えるのです。それとも手紙の書き方などといったあまりにも実用的なことは学問ではないとでも考えているのでしょうか。